音楽スタジオファイル Vol.60
五反田 Spicy Sound Studio
- Spicy Sound Studio について
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2014年10月、五反田駅西口から目黒川を渡って徒歩5分のオフィス街にオープン。長くミュージシャン活動をしていたオーナーの高山俊介氏がエンジニアをつとめ、アマチュアから一線で活躍するプロまで、多くのレコーディングをサポート。弾き語りからトリオバンド、オケデータ持込の歌録りに適したコンパクトなレコーディングスタジオは、1ブースのプライベート感と若いミュージシャンが気軽に使えるコスパが魅力(1時間¥3,500〜)。共用ラウンジ、エレベーター完備。
- Spicy Sound Studio お問い合わせ
- Spicy Sound Studio
[閉店] ]品川区西五反田2-25-1 インテックス五反田B1
TEL:03-6303-9234
受付時間:12:00〜23:00
音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 [Closed] Spicy Sound Studio 編
このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
本日は五反田Spicy Sound Studioのオーナー高山俊介さんにお話をお伺いします。オープンはいつになりますか?
2014年10月初旬にオープンしました。
レコーディングスタジオを立ち上げるきっかけについて教えてください。
僕は、もともとドラマーで、立ち上げ前はバンド活動をやっていました。ひとしきりバンド活動も落ち着いて、ほかのアーティストのサポートドラマーなど個人的な活動をしていたころ、この部屋を見つけて、ドラムの練習やレコーディングができる自分の部屋が欲しいな、と思っていたのでここを借りることにしました。
ということは、当初は高山さん専用のスタジオのつもりだった?
そのつもりでした。
どういった流れで、現在の運営スタイルに?
この部屋の不動産関連を手伝ってくれた人や、まわりのミュージシャン仲間と話しているうちに、ドラムだけでなく、ひと通り録音できる環境をそろえたほうがよいのでは? という話になりまして、それに乗せられるかたちで今にいたる、という感じですね(笑)
コンパクトなスペースですから、各楽器パートはひとつずつパラでの録音になりますね。
そうですね。メインはアコースティックの弾き語りや、オケを持ち込んでの歌録りですが、ドラムとベースを一緒に録ることもありますよ。
西五反田のオフィスビル街の一角ですが、生ドラムやベースも演奏OKなのですね。
大丈夫です。音漏れを心配されるかもしれませんが、生ドラムを叩いても大丈夫な防音レベルになっています。
サウンド面はどのような感じですか?
ひと言でいうなら「デッドな音」ですね。やはり、この建物の設計上、吸音ありきの部屋ですから。とくにドラムは、こういう(デットな)部屋特有の、はっきりとした音で録音できます。
鳴り過ぎると、かえって音が薄くなってしまう印象もあるので、デッドな良さもありますね。
そうですね。もちろん、さまざまなニーズがありますので、デッドになりすぎないように板を立てたりと、多少の反射が得られるような工夫もしています。
小規模でもやり方次第でクオリティを上げられる
最近、このようなコンパクトなレコーディングスタジオが増えていますね。
そう思います。業界全体として、サウンド以外の部分(映像など)にも予算を充てる必要があるので、コンパクトで低予算のスタジオを求めているお客さんは増えてきているのではないでしょうか。とはいえ、デジタル音響の技術も飛躍的に良くなっているので、こういった小規模なスタジオでもやり方次第でクオリティの高い作品が作れるようになってきていると思います。
今年でオープンから5年目となりますが、Spicy Sound Studioで高山さんが目指していることを教えてください。
うちのスタジオでも、若くて感性豊かなミュージシャンやアーティストが増えているので、彼らとおもしろい作品を作り続けたいですね。
スタジオの利用者層としては若い人が多いのですか?
はい、若い方の比率が多いですね。20歳前後の方もいらっしゃいます。彼らには大人にはないセンスがありますね。
それはすばらしい。若いミュージシャンは業界にとっても貴重な存在だと思います。彼らから感じることを、もう少し詳しく教えてください。
たとえば、普通だったらそぎ落とすのではなかろうか? という部分に、あえてアイデアを盛り込んできますね。売り手のプロデューサーからしたら、「それはいらないんじゃない?」となるようなものなのですが、エンジニアの立場として聴くと、その盛り込み方が新鮮で、すごくおもしろい。その発想はなかった! ってなったりします(笑)。
なるほど、経験が豊富ゆえに既成概念にしばられてしまうこともありますね。
僕も20年以上音楽に携わっていますが、今の世の中、何がヒットするか予想がつかないし、僕らの感覚を押しつけたり、そこに落とし込んだりしない方がいい。そこらへんは、もう若い感性で、思ったまま、感じたままでいいと思いますし、そう伝えています。
感性豊かな若手ミュージシャンと作品作りをしていきたい
いつの時代も、進化は若い感性が作っていきますからね。
そう思います。もちろん、サウンド面やアレンジ面においては、ある程度のセオリーがあるので、その部分ではサポートしながら、感性の部分に関しては、むしろ若い人に教えてもらっています。
若いアーティストと良い関係が築けているようですね。
ありがとうございます。将来的に、Spicy Sound Studioからスタートした人たちがビッグになって、「こんな大きいスタジオでレコーディングしてます!」みたいなのがSNSにあがっていたら、うれしいですね。
それではつづいて、高山さんと音楽の出会いを教えてください。
僕は福島県郡山市の出身なのですが、中学校の文化祭で先輩たちのバンド演奏を見たことですね。とてもかっこよくて、自分もバンドをやってみたい!と思いました。
文化祭ライブの熱視線が、高山さんを音楽の世界に引き込んだわけですね。
はい。中学で初めて組んだバンドでは、LUNA SEAやユニコーンの曲からやり始めました。それから高校生までずっとギターをやっていましたが、とあるタイミングでドラムに転向することになりまして…。
とあるタイミングとは?
高校生の時に組んでいたバンドのドラマーが、ライブの2ヶ月ほど前に、付き合っていた彼女から「私とバンドどっちが大事なの?」と言われたようで。あろうことか、そいつは彼女を選んで、バンドを脱退してしまったんですよ(笑)。
高校生で、その二択を迫る彼女もすごいですね(笑)。
バンドマン定番のシチュエーションですね(笑)。とにかくライブまで時間もないし、しょうがないから僕が代打でドラムをすることになったわけです。
唐突な代打ですが、ライブには間に合ったのですか?
シンプルな曲だったので、なんとか…(苦笑)。バンドでデモを作るときに、僕がドラムを打ち込んでいたりしたので、多少ドラムパートの予備知識があったことも大きかったと思います。1〜2ヶ月特訓してライブに臨みました。それがドラムデビューですね。
そのころは、どんなバンドをやっていたのですか?
その時はメロコアのコピーをやっていました。Hi-STANDARDやHUSKING-BEEが好きでしたね。
良い作品ができたなぁっ、て思える時間を共有したい
郡山市から上京してこられたのはいつですか?
大学進学のときに東京に来ました。当時、地元で兄とバンドを組んでいましたが、進学と同時にバンドごと上京して、最初はバンドメンバーで3人暮らしをしていました。
となると、おのずとバンドメインの生活になりますね。
そうですね。大学を出てからは、ドラムメーカーのcanopusに入り、しばらく店員をやりながら、バンド活動をしていました。その後も働きながらバンドを続けてきましたが、さきほどお話したように、これからピンのドラマーとして食べていこうと活動の拠点を探している矢先、このスタジオに巡り合って、スタジオエンジニアとして歩むことになったわけです。
音楽人生、どこで転機が訪れるかわからないものですね。それでは最後にSpicy Sound Studioからメッセージをおねがいします。
初めはレコーディングって不安になる部分が多いと思います。そういった部分を一緒に考えて、トライして、失敗して(笑)、またトライして、そして最後に良い作品ができたなぁって思える時間を皆さんと共有していきたいです!
次世代につながる新しいエネルギーが生まれることを期待しています。本日はありがとうございました。
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