StudioASPが取材した音楽スタジオ・インタビュー特集(全66回・2014年3月〜2019年10月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

音楽スタジオファイル Vol.41

TAD POLE STUDIO 経堂

TAD POLE STUDIO経堂 について
「若い人たちに音楽をやらせたい」という熱い気持ちからジャズマンでもあった先代によって1984年設立。不動産業をバックボーンに地域に根ざして30有余年、古き良き温かみを大切にしながら、新しい時代のニーズに応える老舗音楽スタジオ。経堂駅前にバンドリハから個人練習、本格的なレコーディングも可能なスタジオ4部屋(22帖〜7帖)とミキシングルームを完備。船橋6丁目にプロユーススタジオの「Tad Pole PART2」を運営。
TAD POLE STUDIO経堂 お問い合わせ
TAD POLE STUDIO公式サイト
世田谷区宮坂3-10-7 YMTビル B1F
TEL 03-3428-5711
受付時間 11:00〜26:00(深夜パック可能)

音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 タッドボウルスタジオ経堂 編

このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

タッドボウルスタジオ代表取締役 受川 朋弘氏

本日はTADPOLE STUDIO経堂代表取締役の受川朋弘さんにお話をお伺いします。 都内でも相当な老舗スタジオとして知られています。まずはオープン前後のお話をお聞かせください。

33年ぐらい前にできたので、オープンは1984年になるのかな。この近辺では一番の古株ですね。 僕が10歳ぐらいの時にできたはずです。

ということは先代からという事ですね。

そうですね。私の父が建てたスタジオです。僕は二代目になります。

スタジオを建てようと思った動機などわかりますか?

うちは、親会社が「満福商事」という不動産業をやっていて、この場所は2階建てのアパートだったんですが、当時、建物が古くなったので建て替えることになり、今の鉄筋6階建てに建て替えました。その際、元々、父親は横須賀等のジャズバーで演奏するジャズマンだったので、音楽好きな父の意向もあり音楽スタジオを設立したんです。

それから33年ですね。時代とともに変化してきたことはありますか?

父の「若い子達に音楽をやらせてあげたい」という気持ちで作ったスタジオで、基本的な事は何も変わっていませんね。ちなみに、設立当時は喫茶店も併設して兼業で営業してたんです。広いロビーはその名残です。

スタジオの隣に喫茶店があった?

はい、でも喫茶店は辞めました。というのも、当時は音楽やっているのはパンクな人たちが多かったので、普通のサラリーマンの隣にモヒカンの人がいる、という異様な光景になっていたので、なかなか喫茶店としては成立させるのは難しかったと(笑)。

創業33年、イカ天、バンドブームや好景気で音楽スタジオは繁盛

それで音楽スタジオ1本になったのですね。

そうですね。ちょうど、その頃にイカ天など音楽ブームがやってきて、景気も良かったので音楽スタジオは繁盛したようです。

お父様に先見の明があったんですね。

そこだけはあったみたいですね。でも、もっと先見の明があったら、(地下なので)エレベーターも付けていたと思います。おしかったなあ(苦笑)。

やはりエレベーターの需要は増えましたか?

当時は、マーシャルジャズコーラスなど大きなアンプを自分で持って来るバンドマンなんてほとんどいなかった時代だったんです。だから、エレベーターがなくても、ギター背負って来ればよかった。でも、時代とともに、機材の値段も安くなり、自分の機材を買う人も増えてきたんです。結果、アンプなどを持ち込む人が増えて、エレベーターがないときつくなってきたんです(苦笑)。

なるほど、時代の変化がありながらも、このスタジオを使用するミュージシャンがいるというのは、やはり何かしらの魅力があるからではないでしょうか?

確かに、勝手知ったる…、というスタンスで使ってくれているお客さんはいらっしゃいますね。メンテナンスなどで、多少は機材に変化はありますが、それでもいつも使ってくれているのはありがたいことです。

スタジオ事業以外のバックボーンがないと経営的には厳しい

この33年間の間に音楽スタジオも相当数増え、最近は入れ替わりも激しい環境です。音楽スタジオを長く続けるコツについて教えていただけますか?

正直、経営的にはスタジオ単体だけだと厳しいと思います。TADPOLE STUDIOに関しては、プロユースのスタジオがあるのでそちらの売上が大きいのと、親会社がこのビルのオーナーなので(実質的に)家賃がかからないのが大きいですね。おおよその音楽スタジオには、楽器屋さんなり、スタジオ以外の事業のバックボーンがあると思います。うちは、それが不動産だったんです。

確かに「実は親会社が…」という話はよく聞きますが、それでもあまりにも(スタジオの)採算が合わないと事業としては継続するのは難しいですよね。

もちろんそうですね。まず金銭面では経費をかけないことですかね。収益については、スタジオ料金を下げれば、お客さんが入るかというとそうでもないですし。うちは経堂駅からは近いんですけど、小田急線1本なので、下北沢、新宿、渋谷なんかに比べて地理的には厳しい面もあります。なので、収入を伸ばす方法は、近隣に住んでいるお客さんをいかに大事していくかということでしょう。

地域に特化するということですね。そのおかげか、正月(取材日は2017年1月3日)でもお客さんが多く出入りしてますね。

実は、年末年始営業は今年初の試みだったんです。通年だと12月30日から1月3日まで休みにしていたんですけど、不況なので休んでいる場合じゃないなと(苦笑)。さすがに大みそかは、20時ぐらいにお客さんが来なくなりましたけど、正月は1日、2日、3日とどんどん忙しくなってきました。年末年始にスタジオ料金半額のキャンペーンを打った影響も大きいと思います

スタジオ料金が半額とは太っ腹なキャンペーンですね。

うちのスタジオは他のスタジオと比べて若干高めなので、キャンペーンを使って他のスタジオさんよりも安く使って頂ければと思います。

さて続いて、スタジオの特徴についてお聞かせください。リハーサルの他、レコーディングも可能ですか?

はい。Aスタジオとミキシングルームを使ってレコーディングできる仕様になっています。

エンジニアさんはいらっしゃるのですか?

エンジニアは2名います。フリーのエンジニアもこなすスタッフと、もう1名はうちの店長が担当しています。

レコーディングシステムの特徴を教えてください。

今は、ProToolsでのレコーディングが主流になっていますので、音の入り口になるヘッドアンプの選定には、エンジニアがこだわりを持ってやっています。それでも、近年は自宅録音も盛んになったので、以前のような頻度でレコーディングする人は減ってしまいましたが。

レコーディングのニーズが変化してきた、という話は耳にしますね。

そうですね。最近はボーカルのみのレコーディングの需要が増えました。「ボーカルパック」という低価格な設定にしているので人気があります。レーベルや事務所関係の人もよく使用してくれますよ。低価格といっても、プロの利用を想定し、マイクもNEUMANNU87など用意してあります。

スタジオの構造などにこだわりはありますか?

こだわりを持って作ったのは父なのですが、すでに他界したので、正直、細かいところまでは分からないんですが…。昔からの常連さんには「このスタジオの響きが好きだ」と言われることはよくあります。なので、なまじ内装をいじると音がかわってしますので、なるべく変えないようにしています。機材類も、アンプのジャズコーラスなんか、昔からあるレバースイッチ式のものを使っています。

常連さんだからこそ、使い慣れた環境を望む方は多いでしょうね。

それはありますね。時代の流れと共に変えていかなければいけないものもあるので、いた仕方なく変えるものもありますが、お客さんの要望する声が多いものは、なるべく変えないようにしています。

それでは続いて、受川さんと音楽の出会いについてお聞かせください

僕は楽器はやっていないです。中学ぐらいに友達とバンドを組みましたが、楽器ができないので必然的にボーカルでした。高校ぐらいはボーカリストになりたいと思っていましたが、歌が上手い人はごまんといますので、その思いはすぐ打ち消されました(笑)。

演奏活動はそれっきり?

大雑把にいえばそうですね。ただ、学生時代には、うちでスタジオをやっていたので「レコーディングのエンジニアさんって面白そうだな」と思うようになって、高校卒業後はレコーディング関連の専門学校に進みました。

ということは受川さんご自身もエンジニアなのですね?

僕の音楽の師匠ともつながりのあるエンジニアの方が、うちのスタジオでレコーディングを手伝ってくださっていて、その方のアシスタント(・エンジニア)についたのがきっかけで、今いる二人のエンジニアと共にエンジニア業を学びました。

必然的に家業を継いだわけではなかったのですね?

そうですね。そのくらいの年だと、素直に親の仕事を継ぎたくないという気持ちもあると思うんですよ(苦笑)。

エンジニアはバンドとともに音を作り上げていく重要な存在

それはありますね(笑)。今も、受川さんは現在エンジニア業もやっているのですか?

いえ、28歳くらいまでやっていましたが、エンジニア作業には限界を感じまして、今はやっておりません。ただエンジニアというのはバンドとともに音を作り上げていく、バンドのメンバー、もしくはサポートメンバーのような重要な役割をもつ存在と思っています。

エンジニアさんとタッグを組んで活動を続けるバンドも多いですからね。

そういう気持ちでいないと僕はエンジニアなんてできないと思っていました。だから、エンジニアをしていた頃も、お客さんには、遠慮しないで、同じメンバーだと思って、言いたいことはガンガン言ってくださいというスタンスでやっていました。

エンジニアさんに物申すときは多少なりとも緊張することもあるので、そのスタンスは非常に助かります。

その後、パソコンでのレコーディングがメインになるのですが、そのあたりで、僕は完全に(レコーディングから)手を引きました。便利になったことは分かるのですが、やっぱり、ちょっとなじめませんでしたね。環境的には、他に2人エンジニアさんがいるし、年齢的にも30歳手前だったので、そろそろ経営の方を覚えないと…、と思い、僕自身は経営の方にシフトチェンジしました。父からは店舗を、母からは経営を受け継ぎました。

それでは最後にTADPOLE STUDIOからメッセージをお願いします。

昨年から女子割、平日割、クリスマス割りやくじ引きなどなど、キャンペーンを考案してご利用の皆様に還元していきます。ぜひ、ツイッターやホームページでもチェックしてください。宅録の人も増えましたが、やはり現場での出会いやぶつかり合い、そういった切磋琢磨が良い音楽を作っていくと思いますので、ウチに限らず、まずは音楽スタジオを使ってみてください。

音楽スタジオならではの魅力を発見してほしいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2017年1月)

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新宿より急行で12分、下北沢の3つ隣にある小田急線の駅。農大通り、すずらん通りなど活気ある商店街があり、便利で住みやすく、昔から「経堂で成功すればどこに出店しても大丈夫」と言われるほど都内有数の『食』の登竜門的エリア。路地が細く一方通行が多いことからタクシー泣かせの「経堂迷路」とも呼ばれている。