音楽スタジオファイル Vol.57
巣鴨 WhiteRoad Studio
- WhiteRoad Studio について
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巣鴨地蔵通りの路地奥に1998年3月オープン。「音楽に集中できる環境をいかに提供するか」をコンセプトに、20年以上にわたって初心者からプロミュージシャンまで幅広い音楽好きが集う隠れ家的スタジオ。大型ミラー張りでややライブな鳴りが特徴のAスタジオ(17帖)、天井まで吸音調整された多ジャンル対応のBスタジオ(17帖)など、バンドのスタイルや好みに応じて選べる全4スタジオ。音楽街道を行き交う旅人たちが練習や音作りに安心して打ち込める、ツボを押さえた環境を整えている。
- WhiteRoad Studio お問い合わせ
- WhiteRoad Studio 公式サイト
豊島区巣鴨3-19-22 ガーデンハウス神宮寺B1
TEL:03-3915-4465
営業時間:12:00~24:00(土日祭日 10:00~)
音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 WhiteRoad Studio 編
このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
脱サラして開業。サラリーマンの傍ら開業資金を貯めました
本日は、巣鴨ホワイトロードスタジオのオーナー吉浜隆雄さんにお話をお伺いします。オープンの時期と経緯をおしえてください。
1998年3月オープンなので、今年で20年になります。スタジオをはじめた経緯は、いわゆる「脱サラ」です。サラリーマンをやりながら開業資金を貯めました。学生時代から音楽が好きでバンド活動を続けてきたので、いつかスタジオ経営ができればいいな、と思っていました。
現在とはスタジオ業界の事情もずいぶん異なりますよね。
全然ちがいましたね。今ではスタジオの数も増えて、メンテナンスの行き届いた機材や安定したサービスがあたりまえですが、20年前は、機材が壊れたままだったり、ろくなものが揃っていなかったりということがしょっちゅうでした。
それでプレイヤー目線のスタジオを作ろうと?
そうですね。利用者として、もっとこうしてほしい、と感じたことも多かったので、自分のスタジオをつくるときは「自分だったらこうする」という気持ちで作りました。
スタジオ経営は順調でした?
当時はそんな状況だったので、とくに高価な機材をそろえなくても、基本的なところをしっかり押さえておけば大丈夫でした。今となっては、先にやったもの勝ち、という部分もあったかな(笑)。
サウンド・音響面の特徴をおしえてください。
特別なこだわりはありませんが、防音や音響設計にはそれなりのコストをかけました。お客さまからは、「歌がよく聴こえますね」と言っていただいています。
スタジオの鳴りはどのような感じですか?
Aスタジオは、大きなミラーも入っていて、ジャズバンドやポップミュージック系のバンドに好まれる、ややライブな鳴りのスタジオです。一方、Bスタジオは吸音材を追加したデットな音響でハードロックやメタル系のバンドに最適です。
バンドのスタイルや好みに応じて選べるわけですね?
私からは、とくに特定の部屋をすすめることはしていないのですが、使っていただいているうちに、自然と部屋ごとのカラーができてきた、という感じです。
バンド人口がどんどん減ってしまった。若い世代は激減
近年の音楽業界における市場の動きは、スタジオの経営に影響はありますか?
もろにあります(苦笑)。バンド人口がどんどん減ってきていて、とくに若い世代は激減ですよね。昔は、中高生や、大学生もサークル活動などで使ってもらっていましたが、今はもう、ずいぶんとその数も減ってしまいました。うちの場合は、40代、50代の常連の方がずっと使ってくれていますが…。
若いひとが離れるというのは業界的にきびしいですね。
楽器業界の方とも話す機会がありますが、楽器、とくにギターが売れなくなってしまったそうですね。ギターでいえば、レスポールやストラトキャスターの高級モデルより、ZO-3(フェルナンデス社のスピーカー内蔵の小型ギター)みたいな、安価なものが本数売れないと、裾野が広がらないし先細りしてしまいますよね。
いくつかのスタジオで若い女子のバンドが増えたという話はよく聞きましたけど。
それはありますね。唯一、女の子のバンドは増えました。近所の女子高生たちかな。すごく高そうなテレキャスターを「お父さんのギターです!」と、使っていました。
不景気のなか、テレキャス女子高生には期待したいところですね。
クラプトンモデルやジミヘン仕様のストラトに、シールやらストラップやらつけているので、「おねがいだから、そのすばらしいギターにキティちゃんのシール貼らないで!」って。何も知らないというのはスゴイですね(笑)。
不振の音楽業界を活性化していくためにどうすればよいか、率直なご意見をお聞かせください。
音楽業界、とくにライブシーンに言わせてください。ライブハウスのチケットノルマはやはりよくないですね。チケットノルマ(相当の代金)さえ払えば誰でも出られるというシステムでは、ミュージシャンもお店も成長がない。ステージに立つ以上、チケット代金に見合うクオリティの演奏やオリジナリティを出す努力をしつづける必要があると思います。
チケットノルマの問題はつねに話題に上がりますね。
そのあたりがリアルに評価されたら、3日でクビになっちゃうバンドであふれそうですよね。自分たちだけが楽しみたいなら、学園祭やホールレンタルでもできますから。
バンドがお客さんになってしまう、チケットノルマ
ライブハウスの経営的な問題も大きいと思います。
たまにブルーノート東京にいくのですが、あの店の一部の客は、特定のミュージシャンを見るためじゃなくて、一流ミュージシャンによる極上のBGMが流れる居酒屋感覚で楽しんでいます。ちょっと飲み食いしたら2、3万いくので、居酒屋というにはかなり贅沢ですけど(笑)。
ブルーノート東京という箱にファン、固定客がついているということですよね。
ブルーノートとまではいかないにしても、そのようなライブハウスが日本には少ないという現実はありますよね。それはチケットノルマ制度が、お店側の安易な収益となり、バンドがお客さんのようになっちゃっているので、店自体の魅力が磨かれていかないのかなと。
ライブハウス側の取り組みとして、具体的なアイデアはありますか?
その昔あった、流しの文化、キャバレーバンドのようなものがヒントになるかもしれません。お客のリクエストに答える箱バンは、うまい下手ではなくて、お客さんのニーズに応える能力に長けている。ある程度のクオリティーを持ったミュージシャンがつねに現場にいるので、いつ行っても楽しめるし、その箱にお客さんがついていく。まぁ、ライブハウスも数が増えちゃって、現実的に大変だと思うけど。
では続いて、吉浜さんと音楽の出会いをおしえてください。
僕が小学生の時、兄がビートルズ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルを聴いていて、それに影響されて音楽に興味をもちました。
バンド活動をはじめたのはいつごろですか?
中学生のときにお年玉でグレコのギターを買って、高校に入って、イギリスの元祖ツインリードギターバンド、ウィッシュボーン・アッシュのコピーバンドを組みました。
ウィッシュボーン・アッシュのコピバン、 高校生にはハードルが高そうですが・・・。
高かったですね(笑)。社会人になってからはバンド活動をやめて、最初は洋食屋のコック、それから、さきほども言ったとおりサラリーマンをやっていました。
音楽活動から遠ざかっていたところから再び音楽の道に戻るきっかけは何だったのですか?
サラリーマン時代、部下の結婚式でビートルズのギターを弾いてくれ、と頼まれたのがきっかけで、長らく忘れていた音楽のおもしろさを再認識しました。そこから、5年ほどかけて開業資金を貯め、融資を受けて、ホワイトロードスタジオの開業にいたります。
それを機に、バンド活動も再開したわけですね?
スタジオオープンから2年たったころ、新たなメンバーでウィッシュボーン・アッシュのカバーバンドを始めました。「ZIZOH」というバンド名で今も続けています。
本家ウィッシュボーン・アッシュの公式サイトでも演奏が紹介されたと聞きました。
はい。僕たちZIZOHの活動が、アンディ・パウエル本人に伝わり、海外のウィッシュボーン・アッシュのファンの間にも知られるようになりました。また「Wishbone Ish」という結成35周年記念トリビュートCD(2005)には、ZIZOHの演奏が3曲収録されています。
過去と未来、ウィッシュボーン・アッシュに導かれた音楽人生といえるかもしれませんね。それでは最後に、ホワイトロードスタジオからメッセージをおねがいします。
とくに奇をてらったようなものは何もありませんが、ふつうに演奏して、各パートの音がちゃんと聞こえて、ボーカルも聞き取りやすく、バンド練習の録音がきれいに録れる、そういう環境がしっかり揃っています。安心して使ってください。
音楽に集中できる安定感のある環境を、ぜひ体験していただきたいですね。本日はありがとうございました。
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